始まる前に終わる

 最初に誘ったのは彼女の方だった。CDを焼かせて欲しいという彼女の誘いに応じ、部屋に招き入れられた。見慣れたその部屋はいつもに比べ数倍は片付いており、シンクに食器が数枚溜まっていたものの床には何も落ちていなかった。室内用の物干しにTシャツやらタオルが干されてる割には下着が一枚も見当たらない。男が家に来たって感じだね。は?だって下着が干されてないんだもの。あぁ当たり前でしょ?女の子が遊びに来たって片付けるわよ下着は。俺が来たときはいつも干しっ放しじゃないか。あんたはどうでもいいからよ。ひどいな。別格扱いという言葉を良いものと捉えることは到底できず、要は何とも思わないどうでもいい存在にまで成り下がってしまったということなのだろう。
 いつの間にか彼女は、コンタクトからメガネに変わり部屋着に着替えていた。洗濯物の下着は平気でその辺に干したままの癖に着替えたりする行為は決して見せないようにしていた。それは当然の行為であったが、すぐ目に付く位置に下着が何枚も干してある状況下、何かちぐはぐな印象を受けた。
 帰るタイミングを逃したかを装って深夜番組を見ながらソファに居座る。彼女は床で寝そべりながらうとうとしている。何度か頭をガクっとさせた後、無言ですっくと立ち上がり隣の部屋のベッドに倒れ込んだ。
 本当に帰るタイミングを逃してしまった。テレビを見ると、さっきまで見ていたバラエティが終わっていたのでチャンネルを変えるが目ぼしい番組がない。ベッドサイドの電気を消すつもりで彼女に近づき案の定欲情してしまった。生身の女性を単なる性欲の対象と見るのは初めてではなかったが、短期間とはいえ恋愛関係にあった相手にそういう感情しか抱けないというのが不思議だった。無防備に寝ている彼女をいくら見ても性欲以外の感情は湧き上がって来ず、その欲求は増すばかり。そのまま僕は彼女に覆いかぶさった。
 首元をくすぐるように触れたり舌を這わせたりする。すぐに彼女は目を覚ましくすぐったいと逃げ回ったが、直に堪えるような鈍い無言に変わり、最後には微かな喘ぎを聞かせた。見ると彼女はキッと僕を睨みつけており、僕は彼女の目を見ないようにして首や胸に手や舌を這わせ続けた。
 散々焦らされて苛々したのか彼女が荒い息を整えて言った。一体何がしたいわけ?なにって……。改めて聞かれると分からなかった。性欲が抑えきれず彼女を弄ったわけだが、セックスに至ることに抵抗があった。今まで散々そういう関係として付き合ってきたにも関わらず、今ここで性行為に移行するのが憚られた。相変わらず彼女は無言の抵抗で何をしても乗ってくることはなく、吐息を溢れさせないよう口をしっかり結び僕を睨みつけていた。時折漏れる喘ぎ声が最高にいやらしく僕はますます興奮した。
 それでも僕はそれ以上に行為に踏み切ることができず、一体何がしたいわけという彼女の何度目かの言葉で、漸く彼女から手を離しソファへ戻った。
 彼女はベッドでうつ伏せている。
 白いテーブルの上の温くなった麦茶を飲み干し、うつ伏せの彼女に帰るわと一言だけ告げた。返事は無かった。
 僕は席を立ち無言で玄関に向かう。鍵ちゃんと閉めろよと最後にもう一度呼びかけたがやはり返事は無かった。
 エレベータを待つ間、どうしてセックスしなかったんだろうと自分の情けなさを恥じた。8フロア分を降りても勃起は完全には治まらなかったが、性欲自体はすっかり消え去っていた。あのままセックスしてりゃ良かったと少し残念に思う。
 車に戻り、彼女に貸したCDをカーステレオに放り込もうとCDケースを開けたら空っぽだった。彼女の部屋に置いて来てしまったことに気付き、急いで戻りドアホンを押す。玄関に出てきた彼女はさっきと同じ部屋着だったが、目がうっすら赤かった。それを見てもまだ、僕は彼女を犯すことばかりを考えていた。