重たい本

 11時55発の最終電車に僕は乗る。
 御堂筋線からの乗換客が駅員に急かされ足早に乗り込んでくる。あっという間に座席は埋まり、僕の横には少し汚れた紺の作業着を着た男がすでに舟を漕いでいる。
 僕は手に持っていた分厚いノベルスを取り出し読み始める。先月辺りに発売された昔必死で読むほど好きだった小説家の新作で、時間つぶしのつもりで寄った駅構内の本屋で買ったものだ。通勤の車内でしか読まないので、まだ数十頁しか読んでいない。左側未読の頁が数百あり最初と最後が読みにくくて仕方がない。まぁこの小説家に於いてそれはいつものことなので懐かしくもある。
 御堂筋の連絡待ちで少し発車が遅れるとアナウンスがあり、程なくすると先ほどと同じように沢山のひとが乗り込んで来て車両に人が溢れる。ほとんどの人は車内を通り隣の車両へ流れていく。僕は最終電車のこの様子が好きでついつい本を広げていることも忘れて見入ってしまう。少しひとの波が途切れ、最後はやはり駅員に急かされて小走りのひとがぽつぽつ乗り込む。その頃になると車内も落ち着く。
 僕は本に視線を戻す。相変わらず作者のマスタベーション的な講話が長々と続く。僕はそれが嫌いではない。
 駅員と共に最後の客が走ってきた。
 彼女が乗り込み扉が閉まる。
 同じ年くらいの彼女は扉のすぐ近くで落ち着き、過ぎる駅を背にしてピンクの光沢のあるカバンから本を取り出す。丁度僕の膝の上に乗っているのと同じくらいの厚さのノベルスに思わず僕は口を緩ませる。
 持ち難い本を読み始めようとした彼女はふとこちらを見る。じっと見ていた僕と目が合いそうになり慌てて目を逸らす。目を逸らす前に彼女の丸い目が僕の本を捉え、同じように口を緩ませたのがわかった。もう一度見ると彼女は僕に向かい少し微笑んだ。僕は何故か真顔で会釈する。
 彼女はそのまま僕の方へ歩み寄り、小説家の名前を口にする。この本読み難過ぎますよね。でも文庫版で前後編はもっと読み難くない? 前作とか酷かったですものね。あ、僕前作読んでない。あ、実はわたしも。僕なんか宴までしか読んでない。宴、ノベルスで前後編でしたものね。そうそう重過ぎた。というかこれも大概重いです。まぁ京極ってそういうものだから。
 勿論、そんな会話が起こることもなく僕は膝の上に33頁目を開いたまま、いつの間にか眠っており、終点で駅員に起こされ目が覚める。外が静止画に変わった窓の前に彼女の姿はない。僕はとぼとぼ階段を上り改札を抜けいつものように家に帰る。